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UTALI

書き溜めておいた技術記事や旅行記のバックアップです。

やっぱり弱者男性には微塵も同情できない。いや、してはいけないと思った

平成27年11月の江戸川区の女子高生殺害事件を受けて思ったことを書き散らす。

その犯人であるは相当不幸な人生を歩んでいたようだ。

headlines.yahoo.co.jp

 弁護側の被告人質問に対し、青木被告は「人生で友人は1人しかいなかった。彼はアニメやゲームに相当傾斜していたので気が合った」などと話した。また、中学生時代には同級生から無視される“いじめ”を受けたとした。両親が別居して母親と同居したが、母親からは愛されず、高校卒業後に専門学校に入学後に独り暮らしを始めたという。

しかし、その動機については本当に身勝手としか言いようがない

「バイトでは生活費などが足りず、消費者金融から100万円以上の借金があった。高血圧や、それによる心筋梗塞(こうそく)などの病気もあった。自暴自棄になり、自殺か連続殺人をして死刑になろうと考えた」

しかも殺害の対象を選んだ動機も

「たまたまバイト先の同僚の中で一番話しやすかったためで、恋愛感情などはなかった。次の事件までの生活費として金品を盗んだ。しかし、事件を起こして“すっきり”したので、(自殺も別事件も起こさず)自首した」

この事件には様々な意見がある。彼の不幸な生い立ちに注目して、彼にも同情されることがあるという意見も数多く目にした。

例えばこの増田のようにである。

anond.hatelabo.jp

彼はごく普通の人間として生まれた。社会的な意味でも普通な人生を、本来は送れたはずなのである。多くの者が彼などの犯罪者の境遇、犯罪者を生み出す起因について鈍感であるように思われる。もし彼が両親から愛され、周囲から適切に親しみを持って接してもらっていたら、彼は今回のような犯行を犯しただろうか。彼の自尊心は両親の愛によって確立され、適切な社会との接触により、健全な精神が養われていれば、今回のような結果は起きなかったはずである。

この意見はもっともに思える。この事件に限らず凶悪犯罪者の多くは幼少期に虐待やネグレクト、いじめなどを経験していることが多い、その経験が彼らの人格形成に多大な悪影響を与え、凶悪犯罪を犯す素地を作り出しているということは事実なのだろう。

秋葉原の歩行者天国にトラックで突入した上で、ダガーナイフを振り回して、合計17人を死傷させた凶悪犯罪者の「加藤智大」を覚えているだろうか?

gendai.ismedia.jp

やはりというか、加藤も幼少期から青年期にかけて母親からの執拗な虐待に遭っていたようである。

これは事件後自殺した加藤の弟の証言である。

〈小学校時代から友人を家に呼ぶことは禁じられていた〉 〈テレビで見られるのは『ドラえもん』と『まんが日本昔ばなし』だけ〉 〈作文や読書感想文は母親が検閲して教師受けする内容を無理やり書かされた〉 〈兄は廊下の新聞紙にばらまいた食事を食べさせられていた〉

加藤の母親は人格障害者で、自分が絶対正しいと信じて疑わない人間であり、子供に一切の反抗を許さなかった。

自分も知り合いにその手の育て方をされた人間がいたのでわかるのだが、この手の人間は自分の感情を表現することが非常に苦手な人間に成長することが多い、それは自分の意見を主張したり、怒りや反発などの感情を表したりすると

「言い訳ばかりしてる」

「わがままな子」

とされて、虐待がエスカレートするからだ。

このように育てられた子供はコミュニケーション能力が低い上に、自分に対する攻撃に対して鈍感な性格になる。バカにされたり小突かれても反抗しないため、いじめの格好のターゲットになるからだ。

家庭では虐待に遭い、学校ではいじめに逢う、このダブルバインドで卑屈で歪んだ人格を形成するのは自明の真理だろう。

そして当然のごとく、進学や就職も上手くいかない。立派な負け組の出来上がりである。

このような惨めな人生を歩んできたことに同情することはもちろん当然のように思える。しかし、自分は決して同情はしてはいけないと考える。

最初の理由としては、彼らの深層心理にある動機にある。もちろん、それを表面的に口に出すことはないが、彼らの多くは世間からの同情を集めたくて、凶悪な事件を起こすのである。もちろん、世間からの反応の大半は凶行への非難である。しかし、その中には必ず彼らの不幸な生い立ちに注目して、「犯人にも同情されるところがある」という主張が必ず混じるからである。

実はこの手の無差別殺人を犯す犯人は、このわずかな同情が欲しくて、この手の暴力的な行動に出るのではないか?と考えている。

これは女性で言えば、リストカットを繰り返す「メンヘラかまってちゃん」と変わらないだろう。違いと言えば、攻撃が自分に向かうか、他人に向かうかの違いでしかない。

それは男性特有の攻撃衝動の所為なのかもしれないが、どちらにしろ、その背景にあるのは歪んだ自己顕示欲と自己愛の表現であり、そこには他者への気遣いや思いやりは見られない。

そこにあるのは自分の弱さと情けなさを正当化するルサンチマンの発露であり、同情の余地は全くないのである。

冷静に考えてみれば当たり前のことだ。自分が不幸だからといって無関係の他人を巻き込むことは無条件で許されないことであり、そこに一切の同情を挟んではいけない。

もしここで世間がほんのわずかの同情を彼らに見せてしまえばどうなるだろうか?

それは世間から黙殺され、虐げられる一方で、自分への同情を集めたくて凶行に走る第二、第三の加藤、青木を生み出すことになるだろう。

心苦しいことであるが、彼らには微塵も同情してはいけない、徹底的に糾弾するほかないのである。

自らの弱さを理由に他人を攻撃して構わないのか?

思えば、自分への同情を集めたいがために、他者を攻撃する人間というのは思いの外、多いと思われる。

例えば、ネット上で女叩きや在日差別などを繰り返すネット右翼なども、同じような哀れな人種なのだろう。

彼らも本当は、

「もうダメだ」

「助けて」

と叫びたいのだろうが、世間一般の

「男は強くなければいけない」

「男は泣き言を言ってはいけない」

という価値観に染まっているので、それができないのだろう。

代わりに他者に理不尽な攻撃を加え、自分への注目を集める。その中でたとえ1人でも、自分に同情してくれる人がいれば、目論見通りである。

とりあえず現状の世の中で僕が彼らに言えるのは、

「自分の弱さを正当化するな、強くなれ」

「そして、ニーチェを読もう。」

としか言えない。

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でも、やっぱり弱い男も許される世の中の方がいいのだろうね。難しいけど(涙)