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望月いちろうのREADME.md

書き溜めておいた技術記事や旅行記のバックアップです。

Twitterが赤字から抜け出せない理由 - 海外で完全にオワコン化

オピニオン Twitter

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海外のブログ記事からの引用

以下はとあるブログ記事からの引用です。

Twitterで熱心に活動し始めたころからTwitterに対する不満が聞かれるようになっていた。

だけど最近の事情はちょっと違うようだ。特に思慮深く、建設的な議論を好むユーザーから、不満がより強く、頻繁に叫ばれるようになった。

そしてそんな苦情に対して完全に負け戦の様相を呈している。

賢いユーザーはみんなこう考えている。もうTwitterはオワコンだ。

しかしこれは彼らがツィッターをやめてしまったというわけではないのだが、かつてTwitterの利点であったことがすでに過去のものになったということだ。

最近Twitter上で炎上に巻き込まれたマルコ・アーメント(Marco Arment)はいくつかのことを学んだ。

たとえば、受け取った悪質なコメントに対して晒しツィートをすることをやめることにした。

そして彼はTwitterのようなソーシャルメディアから距離を置くことにした。つまり日常生活をソーシャルメディアを通じて不特定多数に公開することをやめたのだ。

"いままでは誰にでもオープンでいた。コンスタントに匿名のコメント欄をチェックして、リアルの生活に何の関係もない見知らぬ人に対して、弁解をしたり、不毛な議論に巻き込まれたりしなければいけなかった。"

ブラント・シモンズはアーメントの体験に対してコメントをした。

自分が好きで尊敬するアカウントだけをフォローしたとしても、Twitter上で起こるロクでもない出来事を避ける方法はない。たとえ、Twitterを完全にやめたとしても、Twitter上で脅迫されたり嫌がらせをされた人々についての記事を見ることになるだろう。あなたはTwitterから漏れ出す有害な汚物を無視することはできないのだ。(『26世紀青年』的な筋書きがツィッターの特徴をとらえるのに十分だろう)

そしてTwitterはブログのコメント欄に比較して悪い特徴がある。

それは一度Twitterを使い始めたらほかの悪質なユーザーからゴミを投げつけられるリスクがあるという点だ。

Twitterには優れたところもある。しかし悪いところも実に多い、それは51%の長所と49%の欠点があるともいえる。

このサービスがこれ以上良くなるとは思えない。幸いなことにそれは最低限のラインを保っているようだ。

これについてはフランク・チメロが優れた解説をしている。

ツィッターに一定の価値があることは認めるけど、このSNSの魅力はもはや消え失せているよ。僕のフィードの大半は単にうるさく、愚かな哀しい場所さ。基本的に僕が覗きたくない世界を反映しているのさ。僕にこう反論する人がいるだろうね。「お前は変な人をフォローしているだけ」ってね。だけど僕はいい人たちをフォローしているつもりさ、でも彼らは不愉快な環境に閉じ込められてしまったせいで、悪意を見せるようになってしまったと思っている。

ここに「もどかしさ」がある。つまり、ツィッターをしばらく使っていると必ず体験することがある。

これについて、クリストファー・アレキサンダーは優れたグラフを作成した。プライバシーのスペクトラムのことだ。

路上から玄関、リビングルームからベッドルームだ。多くの人は玄関のレベルからツィッターを始める。

基本的には自分と友人の空間で、たまに通行人が通りかかる。だけどサービスが成長し、フォロワーが増えるにつれ、路上に引きずりだされる。

これは実に適切なたとえだ。僕はツィッターを利用するときに感じるフラストレーションは決して「タチの悪い」人たちから感じるものでないことに気づいた。

それは単純に「誤解」をしている人々である。

彼らはツィートの背景になっている以前のタイムラインを読まずに、あるいは言及元の記事を読まずに、単独のツィートに突っかかってくる。

彼らは冗談を理解せず。そして十分にツィートの内容を吟味せずに、意味のないツィートをよこしてくるのだ。

僕はこの手の人々の相手をするのにうんざりした。僕は玄関に座って、友人や隣人とおしゃべりをしたいだけなのに。

おい、ちょっとまて、僕はもう玄関にはいない。大通りのど真ん中にいるのだ。

だから僕は多くの人がするようにした。大通りには出歩かないようにしたのだ。僕は自分のアカウントを公式アカウントとして利用するようにしたんだ。

つまり、自分が書いた記事へのリンクやイベントの告知など。だけど僕が「ビッグツィッター」を呼ぶようになった空間はもはや議論の空間ではなくなってしまった。

これはとても哀しいことだ。僕はかつてツィッターが議論の場であったときに、ツィッターで多くの友人を作ることができた。かつての友人と再び交流をもつこともできた。

あらゆる知識領域が、自分に向けて開かれていた。

だけど何かを発信すれば不愉快な騒音が返ってくる現在の状況はあまりに悲しく、もはや無知と偏見にあふれたツィッターから有益な議論をピックアップできるとは、とても思えない。

だから多くの賢い人々はツィッターを昔のように開かれた形で利用しなくなってしまった。

「ビッグツィッター」は偉大だった。だけどもう終わりだ。

別の道を探すときだ。

僕は、誰か賢い人がこのツィッターというSNSがどこで方向性を間違えてしまったのかという教訓から、有益な議論を促進し、ノイズを遮断する優れたプラットフォームを開発してくれることを望んでいる。